「虎狩り」の絵馬
先日のボランティアガイドさんがご訪問の際、回廊に掲げているこの絵馬についてご質問を受けました。
「加藤清正の虎退治ではないでしょうか、しかし服装、履き物などが中国風に見えますし良くは判りません。」とお答えいたしました。
後日、この中に居られた橋本修二さんと言う方が「調べてきました。」とキチンとパソコンで打たれた説明をご持参戴きました。
その一部を抜粋してご紹介致します。
「近松門左衛門作の人形浄瑠璃の名作に「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」がある。父は中国人、母は日本人である「和藤内」という人物が主人公で、清に滅ぼされた明の復権運動の物語である。物語は全部で五段に分かれているが、その二段目に虎狩りが出てくる。
和藤内とその両親は、平戸から中国に渡り明の復権運動を続けるが、その途中、和藤内と母親が「千里ヶ竹」という竹林に迷い込みそこで虎に出くわす。和藤内はその怪力と、持っていた天照皇大神宮の護符の力で虎を退治した。」
と言うことです。
確認のためもう一度絵馬を詳しく調べました。
肉眼では全く判りませんが、角度を変えて何枚も撮ってみた左手付近の写真の中になにやら極薄すらと写っています。
巾着にぶら下げたお守り袋の様にも見えるし、小型の御幣の様にも見えます。
下手な絵で申し訳ありません。
頑張って見えない線をなぞってみました。
握り拳を振りかぶっているのではなく、護符を虎に向けてかざしているのは間違いありません。
橋本さんの見解は間違いないでしょう。
更に
「和藤内には、鄭成功(1624~1662)という実在のモデルがいた。その父は明の忠臣鄭芝龍、母は田川まつと言い、彼は平戸で生まれた。七歳の時父の故郷福建省に帰ったが、1644年明は清に滅ぼされる。そこで成功は父芝龍と明の復権を目指し抵抗運動を続ける。ある日旧明の王隆武帝に謁見した成功は、その国姓「朱」を賜ったので、「国姓爺」と呼ばれた。しかしその抵抗運動も利あらず、父は清に降り、成功は台湾に逃れ、そこで没した。鄭成功は、台湾独自の政権を打ち立てて、台湾開発を促進する基礎を築いた英雄として、現在台湾で高く評価されている。」
こちらでもインターネットで調べたところ「『はつかいち』 ぶらり」と言うブログの中で厳島神社奉納絵馬」と言う記事の中に良く似た絵馬を見つけました。
この絵馬は天保10年(1839)に伊予今治の絵師山本雲渓が描いた「武松虎退治の図」で、 中国の明代に書かれた小説「水滸伝」の一場面で故郷に帰る途中、偶然出会った景陽岡の人食い虎を退治したという話しを描いたもののようである。
と説明されています。
人物の表情、両肌脱いだ衣の輪郭や履き物、虎の顔をつかんでねじ伏せているところ、虎の模様や毛の描き方など、もの凄く感じが似ています。
伊佐爾波神社の「虎狩り」も恐らく同じ山本雲渓が描いた物だと思います。
伊佐爾波神社の絵馬が文政12年(1829)ですから丁度10年後に当たります。
髭と頭髪の描き方がうまくなった様に思います。
こちらの絵馬にも良く見ると腰にお守り袋の様な物が見えます。
話を元に戻します。
橋本さんの解説はもっともっと詳しいのですが、このお話は橋本さんに出合って直接お伺いする方が良いかと思います。
何事でもですが物事への理解が深まるのは、とても楽しいことですね。
橋本様有り難うございました。
ご説明の方も宜しくお願いいたします。