御宝物

国指定重要文化財

太刀『国行』
 刃長77.7㎝、反り2.6㎝、鎬造しのぎづくり庵棟いおりむねきたえはよくつみ、刃文は直刃すぐは、丁字交じりで、小沸こにえがついている。
 全体の姿は、反りが深く華やかで、重ねも厚く品位がある。
 なかごは生ぶで、鑢目やすりめは切、目釘穴は3個、「国行」の2字銘が刻印。
  鎌倉時代の作で、作者の来国行は山城国来派の名工である。
 寛文5年(1665)松山藩主松平定長が武運長久と一門の繁栄を祈願して奉納したもの。

国行拵え

愛媛県 有形民俗文化財

算額(22面)
 この数の算額が一社にまとめてあるのは全国でも珍しい。
 痛みが激しく、現在は保存の観点から非公開。



松山藩主 松平定長公所縁の品

兜『筋星』
高五寸五分 径一尺三寸 無銘 領主松平定長奉納
具足『夘ノ花威』
胴廻三尺四寸五分 仝高一尺四寸 無銘 領主松平定長奉納

『伊佐爾波神社の甲冑について』

 伊佐爾波神社に伝来した甲冑を「縣社 伊佐尓波神社財産登録申請書 寶物ノ部 第参号」(明治四十一年十二月)を参考にし、概観を紹介したい。

 同「申請書」によれば武具の類は具足五領・兜六頭・頬当二面・袖一具・陣羽織一領・陣営具二点・箙一腰の十八点が記載されている。

 そのうち三代藩主 隠岐守定長の奉納になる具足は二領あり

一 朱漆塗切付小板白糸毛引威二枚胴具足は兜は六十二間金泥塗り小星兜に三鍬形と魁の前立、面頬は白髭付きの列勢頬、喉輪は朱塗小板二段下り、袖は朱塗七段下り当世袖、朱塗瓢籠手、金白?塗に丸に星梅鉢紋を描いた板佩盾、金白?塗篠臑当から成る。

二 皺革包菱綴桶側二枚胴具足は 植毛の兜鉢(総髪)に耳形の眉庇を張縣た変り兜、後立は銀箔押の輪貫、胴甲の正面に大きく輪宝を描き草摺は浅葱糸素縣威六段下り、籠手は黒塗小篠と格子鎖の篠籠手、黒塗骨牌金佩盾、黒塗篠臑当で構成される。

どちらも松平定長奉納と注記され、一には□文乙巳年の年記がある。

 定長在世中の乙巳の年は寛文五年(1665)のことで、「松山要輯」(伊予史談会文庫)にも、寛文五年八月伊佐爾波神社に太刀鎧を奉納、とあることから藩主定長自身の所用になるものと推定され、制作時期も江戸時代初期から中期頃の特徴を備えた具足である。

 すなわち後世の飾り鎧とは違い、大名個人が実際に具足を着用し、戦う為の実用性が残された時代の制作といえる。

 同時に奉納された猩々緋の袖付陣羽織も、刺繍で描かれた唐獅子に先代までの躍動感が薄れているが豪華で入念な作で、具足と共に当代の資料として貴重である。

 また、鉄錆地不動明王打出し五枚胴具足には、明珍信只の在銘とあるが、同名の作者は江戸明珍本家をはじめ各地の甲冑師に名の見えない珍しい人物で、松山藩の抱工の可能性もある、時代は江戸時代中期以降の作と思われる。ちなみに兜の前立ての、銀の輪貫は松山藩の合印、指物(背旗)の梅鉢紋も同様である。

 このほか、綾糸素縣威具足、八間小星兜、投頭巾形の、三十二間筋(小星カ)兜等と、小具足類にも資料的価値の高いものが多いように思われる。

 藩主松平家と松山藩士の武家資料として重要な当宝物は、適切な修補を必要とし、そのための調査も必要な事はいうまでもない、一日も早い公開が望まれる。


日本武具甲冑研究保存会会員 友澤明

松山藩主 松平定長公所縁の品

兜『立物月ノ輪』
高六寸五分 径九寸七分 無銘 領主松平定長奉納
具足『皺革包浅葱糸花色』
胴廻三尺四寸二分 仝高一尺三寸八分 領主松平定長奉納

松山藩主松平定長公所縁の品

絵馬『八幡来迎図』
題材は下の絵馬と同じです。
下の絵馬は日輪、月輪で神のお告げを表したのに対し、
来迎図ではより具体的に弓を持った女神像が出現しています。

松平定長絵馬