全国八幡宮連合 第40回研修会
11月26日・27日と大分で全国八幡宮連合の研修会が開催されました。
先ず八幡奈多宮に正式参拝しました。伝承では宇佐神宮の別宮として、神亀6年(729年)に宇佐神宮大宮司であった宇佐公基により創建されたそうです。
15時30分から熊本大学大学院の伊東龍一先生により「八幡造社殿について」と言うご講演を聴きました。
八幡造の社殿は全国に6カ所ありその内の4カ所が大分に在ると言うことでした。
次の日は宇佐神宮です。 社殿は、宇佐亀山に神亀2年(725年)に一之殿が造営され、天平元年(729年)に二之殿、弘仁14年(823年)に三之殿が造営されて、現在の形式の本殿が完成したと伝えられています。
次にフェリーで姫島に渡り大帯八幡社に正式参拝しました。 元治元年の大火で旧記・古文書等を消失し、由緒等はあきらかではありませんが、大帯八幡社の社名を記した正和元年(1312年)の棟札が広島県呉市に鎮座する亀山八幡宮に現存する事から、その古さを伺い知ることができます。
以上で3カ所、遺るのは現在復元解体修理中の柞原八幡宮です。
今回は、時間の都合でお詣りすることは出来ませんでした。
現在の社殿はいずれも寛延2年(1749年)焼失後に順次再建されたもので、申殿は前述の寛延の火災後まもない宝暦2年(1752年)頃の建立、拝殿は後述の楼門と同じく宝暦9年(1759年)頃の建立、本殿は嘉永3年(1850年)の上棟とみられています。(写真は2010年に撮影した物です。)
後は、京都の石清水八幡宮と愛媛の伊佐爾波神社、これが総てです。
建築の先生方は、八幡造を本殿のみの建築様式で、横から見ると「M」字型に前殿(外陣)と後殿(内陣)の建物を連結したものと考えている様です。
八幡信仰は神仏習合を背景に広がりを見せます。
八幡造は神仏習合期の建築様式で、楼門や回廊など寺院建築で神社を護る形に構成された物と考えるべきだと思います。