管絃祭(かんげんさい)
午後4時、発輦祭(はつれんさい)が始まりました。
祓詞(はらえことば)を奏した後、大麻(おおぬさ)所役が神饌殿でお供えを、次に玉串、御鳳輦、神職、奉仕者、参拝者をお祓いします。
雅楽の音とともに、神職が神饌殿からご本殿前まで手伝えでお供え物を献じます。
御鳳輦にお遷りいただく旨を申し上げると同時に渡御の安全を祈願します。
お供えを下げるに当たり、伶人(れいじん)が楽器を手に取る間合いを計っています。
祓殿を通り高舞台で屋根に鳳凰を取り付けます。
現在は和船3艘を横に並べて1艘に組み、別の3艘の船で曳航していますが、かつては1艘の大型船を使用し自力で航行していたそうです。
元禄十四年、管絃船が航行中に暴風雨に遭い転覆寸前となったところを、停泊し風雨を避けていた鯛網船(阿賀村の岡野喜右衛門)と、厳島神社に参拝する伝馬船(江波村の古川屋伝蔵)が管絃船を救助しました。
この遭難事故以降、阿賀村と江波村が管絃船を曳航することとなり現在まで続いています。
御前0時に御本殿に還御(かんぎょ)します。
平安時代、厳島は島全体が神とされ人が住むことが許されなかったため、対岸の地御前神社から厳島神社まで管絃船で管絃を合奏する神事を行っていたのが、鎌倉時代以降、島内に人が住むようになってからは、厳島神社から管絃船が出御し、地御前神社を経由し還御する現在の姿となったそうです。
船の都合で午後7時までしか見ることが出来ませんでしたが、管絃祭の日にお参り出来たのは初めての事で大変感激致しました。